
奈良大学 文学部史学科 教授
村上 紀夫
専門は日本文化史。京都を中心に、民間の宗教者や庶民の信仰の歴史を研究。
地蔵盆とは、子どもたちの成長を願って近畿地方の各地で行われてきた行事です。8月24日ごろに行われることが多く、子どもたちは大きな数珠を順に回す「数珠まわし」やお菓子配りを楽しみます。
地蔵盆は、いつ、どのように始まったのでしょうか。
地蔵盆の歴史を史料から明らかにしてきたのが、奈良大学 文学部史学科の村上紀夫先生です。今回は、村上先生に地蔵盆の由来と明治の中断、史料を読むと歴史の見え方がどう変わるのかを伺いました。
地蔵盆の由来:いつ、どう始まったのか?
村上先生の著書『京都地蔵盆の歴史』によると、地蔵盆の始まりは17世紀の京都にさかのぼります。都市開発のときに各地で掘り出された石仏が地域の人たちに大切にされ、しだいに年中行事になっていきました。
──地蔵盆の始まりは、これまでどのように考えられてきたのでしょうか?
これまでの研究では、地蔵盆を平安時代くらいの境界祭祀や中世の六地蔵参りに結びつけて理解する議論が一般的でした。最近になって、ようやく近世に始まったという考えを受け入れてくださる方も増えてきましたが、反対意見もまだあるのではないかと思います。
村上先生が挙げた境界祭祀は都や村の境で災いを防ぐためのまつりで、六地蔵参りは京都の旧街道の入り口にある6か所の地蔵をめぐる行事です。
──地蔵盆が江戸時代に始まったことを示す史料で、忘れられない出会いはありますか?
『京都地蔵盆の歴史』を文庫版にするための増補改訂作業の真っ最中に、古書店の目録に、享保年間(1716〜1736年)に地蔵盆を始めた町の記録が掲載されていました。もう、これはお地蔵さまのお導きに違いないと思って、高額でしたが思い切って買いました。これで、ある町が地蔵盆を江戸時代に始めた経緯を明確にすることができました。
史料との出会いは、人との出会いと同じように「運命」を感じることがありますね。
地蔵盆は明治に途切れ、明治16年に戻った
明治のはじめ、新政府が地蔵を撤去して行事を止めたため、地蔵盆は一度途切れました。
村上先生は著書『京都地蔵盆の歴史』(法藏館・2017年)で、史料と現地の調査をもとに、地蔵盆の約400年の歩みをたどりました。(*2025年には補章2本を加えた増訂版が法藏館文庫から出ています。)
──地蔵盆の歴史を調べるなかで、いちばん印象に残っていることは何でしょうか?
地蔵盆は明治になって一旦中断し、しばらくして再開したと言われていましたが、実際に史料でその経緯を明らかにした人はいませんでした。京都の公文書で、中断と再開の経緯を記したものを発見したことが、自分のなかでは地蔵盆研究の画期となりました。
村上先生の論文「近代京都における地蔵会の復興」(2017年)によると、京都では明治16年(1883)に、京都府の布達が盂蘭盆会に関わる行事の禁令を取り消しました。布達は新聞でも知らされ、明治16、17年には地蔵盆が急速に復興しています。
──京都の公文書には、どのようにしてたどり着かれたのでしょうか?
ある町で、京都府からの指示で地蔵盆を中断する記録がありました。そこで、公文書に何か手がかりがあるはずだと思い、その年に京都府庁で作成された公文書を探しました。その次は新聞を見てみよう、という感じで、このときは史料が芋づる式に見つかっていきました。
地蔵盆はいま、どう変わっているのか? 猛暑で屋内の開催も
毎月24日は地蔵の縁日で、地蔵盆は古くは旧暦7月24日、いまは8月24日前後に行われます。村上先生は、暑い盛りのこの時期に地蔵盆の現場を訪ねて調査を続けており、「毎年、それはもう……とても暑い」と話します。
──フィールドワークのなかで、地蔵盆が変わってきたと感じられることを教えてください。
猛暑が続いているので、屋内の空調が効いた場所で実施するところも増えているようですね。飛び込み調査が難しくなりました。
水軍史を学ぶはずが、庶民の信仰の研究へ

村上先生は1970年、愛媛県今治市に生まれました。高校時代には地元の寺社や城跡を頻繁に調査・見学していたそうです。
──村上先生のこれまでのご経歴を教えてください。
1989年に愛媛県から大学進学のために京都に来て、それからずっと関西で歴史の勉強をしています。奈良大学の史学科に着任したのは2014年です。
──大学では水軍史を学ぼうと史学科に進まれたそうですね。そこから、京都の庶民の信仰や民間の宗教者の研究へと移られたのは、どんな経緯だったのでしょうか?
地元、愛媛県の村上水軍に関心があって、大学でも水軍史の勉強をしようと思っていました。近年では、史料に基づいた水軍研究も大きく進展していますが、当時は史料的な限界から方向転換を余儀なくされました。
京都で歴史を学びながら、民俗学にも関心を抱き、自分で本を読んで勉強をしていました。気がつくと、文献史学と民俗学の研究が交差する庶民信仰や宗教者の歴史研究に没頭していました。
村上先生が挙げた文献史学は文字で残された史料から歴史を読み解く学問で、民俗学は人々の暮らしや行事を調べる学問です。村上先生の研究の原点になったのは、京都の五条橋を舞台にした卒業論文でした。文学作品や地誌などを史料として、その背景にあった信仰を考察しています。
──2026年には『江戸時代の魔女裁判』と『孝行息子、地獄と極楽へ行く』(いずれも創元社)を出されました。いま、いちばん関心のある研究は何でしょうか?
私がいちばん関心をもって継続的に調べているのは近世の牛車(ぎっしゃ)です。朝廷では牛車を運行するための職員を官人として抱えていました。この役人と牛車に夢中です。

村上先生の論文「近世上賀茂神社社領の牛飼と朝廷」(2023年)によると、牛車の研究はこれまで平安時代が中心でした。応仁の乱以降は牛車が衰退していたこともあり、近世の牛車や、それを運行した牛飼は論じられてこなかったといいます。
では、衰退していた牛車を、朝廷はなぜ維持したのでしょうか。村上先生は、近世の牛飼は1588年の聚楽第(じゅらくだい)行幸をきっかけに復活、整備されたもので、牛車には武家権力の権威付けの意味合いもあったと論じています。聚楽第行幸は、豊臣秀吉が後陽成天皇を自らの邸宅に迎えた行事です。牛飼は牛車の運行のほか、正月や八朔の行事、闘鶏にも関わり、その口伝や専門的な能力は特定の家に受け継がれていました。しかし、近代に列車や馬車が登場すると、一度はその役割を終えました。
──研究と並行して、一般の読者に向けた本も出されています。どんな思いで書かれているのでしょうか?
史料を読むことの楽しさと歴史学の面白さを多くの人にもっと知ってもらいたくて、史料に残された歴史の表舞台に上がることのない庶民の暮らしをわかりやすく紹介する本を色々なテーマで書いています。
村上先生が2026年に創元社から出した『江戸時代の魔女裁判』は、京都の都市下層民から遊女となり、宗教者になった豊田貢の生涯を描いています。同じ年の『孝行息子、地獄と極楽へ行く』は、今から300年ほど前、雪の中で意識不明になり、地獄と極楽を旅して生還した少年、松野善之丞の神秘体験をたどる一冊です。
2025年の『幕末女性の生活』(創元社)では、幕末の女性たちが書き残した4つの日記から、ご近所との付き合いや飼い猫の一生、妊娠と出産といった暮らしを読み解きました。そのうちの1つに、滝沢馬琴の息子に嫁いだ路(みち)の日記があります。
路の日記には、近所に住む深田家の姉弟がしばしば滝沢家を訪れる様子が出てきます。姉のおよしは、泊まりにも来ていました。
──『幕末女性の生活』で読み解かれた日記のなかで、いちばん心に残った場面を教えてください。
いちばん心に残ったというと、「場面」というよりも、馬琴の息子の妻、路の日記に登場するご近所のお嬢さん、およしです。たぶん、路の娘のさちと同世代のようなのですが、滝沢家とは家族ぐるみのおつきあいをしているようで、路のことも慕っています。なんだかとてもかわいらしいんです。
路が日記を残さなかったら、きっと忘れられてしまっただろう一人の女性の姿が、史料から鮮明に浮かび上がってきたことは印象的でした。
史料を読むと、歴史の「消費者」から「クリエーター」へ
奈良大学通信教育部の「史学講読」は、重要な史料を読みながら、史料の基礎知識や扱い方、分析の方法を身につける科目です。村上先生は、このうち「史学講読Ⅱ」を担当しています。
──史料を自分で読めるようになると、歴史の見え方はどう変わるのでしょうか?
史料を読むということは、文献史学の基礎的な作業です。史料に書いてある意味がわかるというだけではなく、なぜ書かれたか、書かれていないことはないか……と考えます。
これまで、歴史の本を読むというのは、誰かが史料を読んで、その人が再構成した歴史を学ぶことだったのではないでしょうか。それが、自分で史料を読めるようになると、自分で歴史を復元できるようになります。
いわば、人が作ってくれた「歴史」を受けとめる消費者から、自分が「歴史」を語るクリエーターになるわけですから、歴史との関わり方や見え方は、とても大きく変わると思います。
──「消費者」から「クリエーター」へ、という見方は新鮮です。先生は、カメラを片手に京都や奈良を散歩するのが楽しみのひとつと書かれていました。散歩のなかで、歴史の手がかりに出会うことはありますか?
京都・奈良は歴史の宝庫で、歩けばそこら中で歴史の痕跡を見つけることができます。路地、石碑、地名……。歴史学を学ぶことで、アンテナの感度が高まります。

京都や奈良だけではありません。見える景色の向こう側に隠された歴史を感じられるようになると、どこでも歩くことが楽しくなります。

──自分で史料を読むとなると、「くずし字は読めない」と不安に思う方も多いと思います。くずし字は、どのくらい続けると読めるようになるのでしょうか?
くずし字には、パターンがあります。しかも、史料の文体は決まり文句が多いです。半年も続ければ、よく見る文字、よく使うフレーズが頭に入りますから、7〜8割は読めるようになります。あとの2〜3割が難しいんですけれど。
大切なのは、文字を読むことではなくて、内容を理解することです。文字を読むことが目的になってしまうと(それはそれで楽しいのですが)、内容の理解がおろそかになります。
これまでの研究で活字化され、学術的な共有財産となった史料も多いです。活字史料もしっかり読んで、内容を理解する訓練も大切です。
これから歴史を学ぶ人へ
村上先生は著書『歴史学で卒業論文を書くために』(創元社・2019年)で、研究テーマの決め方から提出の締め切りまでを一冊にまとめました。
──卒業論文のテーマに迷っている学生に、ふだんどんな声をかけていらっしゃいますか?
卒業論文では、自分が一番やりたいことを選んでほしいと思います。ですが、「やりたいこと」と「できること」は必ずしも一致しないのです。先行研究を手がかりに、実現可能なところに落とし込む必要があります。
適切なテーマが決まれば、論文は半ば書けたも同然です。テーマ選びは、いわば産みの苦しみですから、簡単に決められないのが当然です。
テーマを設定する時には、そのテーマを選んだ理由をよく考えてみてもらいたいと思います。そして、その私的こだわりや私情を前面に出さず、研究史とかかわらせて学問的に論じるのです。ここで、個人の「こだわり」というプライベートなことが、歴史や社会と接点をもつことになります。これが、学問と向きあう意義ではないでしょうか。
──最後に、これから通信制大学で歴史や文化を学びたい方へ、メッセージをお願いします。
学ぶことは、知識を集めることだけではありません。知識だけであれば、今はスマートフォンで簡単に調べることができます。大切なのは、物事をさまざまな角度から見たり、自分にとっての「当たり前」を問い直したりする視点を身につけることです。
歴史や文化を学ぶと、これまで見慣れていた世界が少し違って見えてきます。人や社会のあり方を多面的に考えられるようになり、世界は以前よりも豊かで奥行きのあるものとして感じられるでしょう。通信制大学での学びが、そのような新たな視点との出会いの場になればいいなと思います。
教科書で見た出来事や人物の足跡をたどりながら学べるのは奈良ならでは。奈良大学は歴史好きにとって、知る喜びと歩く楽しさを実感できる環境です。
インタビューの最後に、村上先生は著書『歴史学で卒業論文を書くために』の一節を、結びの言葉として挙げてくださいました。
安丸良夫という研究者は「歴史学的な知」について、「世界の秘密をいっきょに解き明かす」ようなものではないが、「私たちの生きることの意味についてゆっくりと媒介的に考えさせてくれる鏡たりうるもの」だと述べている(安丸良夫『現代日本思想論』岩波現代文庫、二〇一二年、一六七頁)。卒業論文の執筆を通して、自分自身の関心と向き合い、先行研究や史料を読んで考えて手にした自分なりの結論は、きっとどこかで「生きることの意味」と結びついているはずである。卒業論文は、今すぐに役立つものではないかもしれない。しかし、いつの日か「ゆっくりと」あなたが「生きている意味」を教えてくれるだろう。
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村上先生、ありがとうございました。
村上紀夫先生のプロフィール

奈良大学 文学部史学科 教授
村上 紀夫(むらかみ・のりお)
通信教育部の担当科目:史学講読Ⅱ
1970年、愛媛県今治市生まれ。立命館大学文学部史学科を卒業し、大谷大学大学院文学研究科博士後期課程を中退。2014年より奈良大学。博士(文学)。専門は日本文化史。
村上先生の本

増訂 京都地蔵盆の歴史
法藏館・2025年
地蔵盆の始まりから現在まで、約400年の歩みを史料と現地の調査でたどる一冊。2025年の文庫化で補章2本が加わりました。

江戸時代の魔女裁判
創元社・2026年

孝行息子、地獄と極楽へ行く
創元社・2026年

幕末女性の生活
創元社・2025年

歴史学で卒業論文を書くために
創元社・2019年
取材協力:奈良大学 文学部史学科 教授 村上紀夫先生(教員紹介)
大学:奈良大学 通信教育部
聞き手:おうちカレッジ編集部
写真提供:村上紀夫先生
取材:2026年秋
※職名・担当科目は取材時点のものです。
